脳内色色

自分の中の脳内整理。主にツイッターから発症。

始めて滝に連れて行ってもらった時の話。

8月の末、ちょっとした田舎の山の中にある小さな滝に連れて行ってもらった時の話。

しばらくずっと温めて書き直して、ようやく完成したもの。













初めて滝に連れて行ってもらった。





私、という人間に縁のある方ならお解りだと思うのだが、私はとても自然物が苦手である。

苦手、というか関わりがなさ過ぎて近寄りたくない。生命力を感じる青葉も流れる水も空気も、とにかく「生を肯定する、満喫する」というエネルギーに満ちていて大嫌いだと思っていた。生きてるものは嫌い。生きていることを讃えるものも嫌い。


人工物が好きだった。

剥き出しの混凝土、電線、有刺鉄線、電柱。

一番見て落ち着く景色は、JR京葉線の車内から見る高層ビル群と工場地帯と今でも思っている。夢の国に向かうのに、1番の縁のない冷たい現実を眺めながら通るのが好きだった。

どの鉄塔も水道タンクも、自ら生きる気もなく存在し、いつか朽ち果てようともそれらは巡ることも繋がることもなく落ちていくものだと考えていた。

誰かに作られ、朽ち果て、その場で終わる。

自ら躍動することのない、静物画を愛していた。




私は「生命」から生まれ出るものが須らく苦手だ。

私自身の生命を嫌悪しているというのに、何故他の生命を許容できるというのか。

ただの好みの話である。私の視界と私の世界の話だ。ただ私が苦手で受け入れられないものだ。


そういう観点から、実は骨も好きではない。

あれは朽ち果て輪廻するものだ。土に還ることができ、何かを肥やすことができる。それは生命の結びと繋ぎ。延々と続く螺旋なんて一体いつ休めばいいのかも解らない。


そんな私が愛したものは「球体関節人形(ドール)」だ。

あれらは皆、何某かの理想が詰まったものだ。つまり簡単に成し得ないもの。人間のそのままの素体で辿り着けないもの。命あるものでは健康と称されないもの。

肉も血も通わない、冷たい無機物。


私にとっての安心感である。

「理想の果て」は、「人ならざる果て」だと。

人間の身体で例えるのであればアノレキシア。別にアノレキシアを推奨している訳ではないので履き違えないで欲しい。

人間なので骨があるのは致し方ないとして、せめて生命力の塊である血肉が必要最低限であることを好んで愛した。



ここまで書けば、私が如何に生命を忌避しているか理解できるとは思う。


私と「滝」なんて何の縁があれば見に行くことなぞあるのかと自分でも感じる。そして行く前に絶対に嫌がるのだ。







話は全く変わるのだが、私は非常に醜い血縁争いをしている。

それはまあ、ヒステリックに甲高い声で話す母と、遺伝したその声を途中で嫌になり中高生の頃に無理矢理低めにしたものの、油断をすると母そっくりの声になる私とが話すと、相当に喧しい。

しかもそれを繰り広げたのは電話口、お恥ずかしいことに平日の昼食休みでサラリーマンや主婦が歩く道通りにある駐車場の一角でだ。


母は一度加速してしまうと放置して鎮火するまで一切手がつけられない。可笑しなことや全く理解のできないことをすらすらと経文のようになぞるからだ。彼女の頭の中ではどうやら繋がっているらしいし、筋が通っているらしい。あくまでの彼女の脳内だけだが。


私だけなら、恐らく適当に切り上げていたと思う。切り上げていたと言うより、話している途中で通話終了ボタンを押す。強制終了してほとぼりが冷めるのを待つだけだ。


ただ、その時に悪手だったのは、私が好意を寄せて、私と共に過ごしてくれた人の姿を見てしまったことだったと思う。



私と母親の話だけなら、きっとどうしようもなく並行線で相容れない人間達のよくある噺で済んだ。いつだってそうしてきた。お互いに呪詛を吐き合い、呪い合うだけの汚い生き物だ。


彼女は呪われた声で、私の大事なもののことを詠った。

いつも私が、くだらない矜持として考えている領域を侵食した。




「私の名前に掛かった呪いも恨みも、すべて私だけのものだ」

他人になぞ、一片もくれてやるものか。





そこから延々と駐車場で話し、用事を済ませた彼が戻ってきた。

しばらく続いた舌戦を、通話終了で強制的に止めた。


鞄を受け取って、どうして良いのか顔もほとんど見ること能わず、置いて一人で歩き出した。

ただ、確認事項だけがあったので、電話を掛けた。そこだけは抜け落ちると後々不味かったので、きちんと押さえられたのかを聞いておきたかった。

「帰るの?」




ぼたっと、落ちた。

私はその時、自宅に一人でいた。


私個人の事情から、彼と愛猫は彼のご実家で過ごしていた。

だから、離れて暮らすようになってから、いつも気に掛けて、実家に来るかと聞いてくれていた。愛猫と会えるように。

勿論ご実家は彼の家族がいらっしゃる。

私は余所者、部外者だがそれでも頻繁にお声を掛けてくださっていた。ご家族も非常に良くしてくださった。

私が一人で先々と歩いたので、帰るのかと思ったらしい。




一人になりたい。独りは嫌だ。

一人でいるしかない。独りは苦しい。

貴方と愛猫にいて欲しいなんて、どうして呪われた私が言えようか。

久し振りに言葉を落とした。

昔から自分の感情を理解したくない認めたくないが為に口にしては、訂正されていた言葉だ。

「わからない」、と。

正解は理解している。

ただそれを思考が拒否する。それは理性的でないから私は否定する。

わからないとだけ答えるしかない。




私は基本的に「どうしたい」ということを言わない。

言う資格も言える道理もないと思っているからでもあるし、どうしたいなどと言う前に実行できているからだ。

我欲は強いが、それはあくまで強奪するのみの話で、他人と折衷案を取るようにどうしたいかなんて話すことは避けている。


彼はいつも通りだった。

「来たいならくればいいし、一人になりたいとか精神的に辛いなら帰ればいいよ。好きにして」と。

結局私はどうしたいではなく、「車に同乗し、着いた際に答えを出す」ということのみ伝えることができた。

空腹を訴えた彼が、中華料理屋に入った。

とても何か食べられる気分ではなかったが、車に残れば蒸し風呂になる。


「え、○○さん来ないの?」と、来ると思っていたという台詞にようやく安心して車を降りた。


決して普段なら量の多くない卵スープを何とか口に運んでいたら、先にギブアップした彼が唸った。

「滝行したい」

「は?」

別に唐突なのはいつものことだが、私はこういうリアクションを取ってしまう。そもそも残暑厳しいこの折に、山中に入ると考えただけで嫌になる。

あちらこちらを好き勝手に飛び交う虫、すぐに靴を汚してしまう土、砂利。ああもう好きになれない。

ただ、私自身滝行はしないが、物珍しいが故に近くで見てるということは伝えた。


彼は少し迷って、結局そのまま近くの小さな滝へと車を走らせた。

慣れた様子でさくさくと道を歩く彼に、私はあっという間に置いて行かれた。


そもそも山に来るなぞ考えていないから足元はフラットシューズのパンプスだ。そんなものでは足場が悪くて進み難い。

少し離れた所で、彼が私を見ていた。



山道のドライブはすぐに車酔いを起こすので、気持ち悪さもあった。だけれど待っているのは理解できたので、ゆっくりと進んだ。

少しずつ激しい水音が聞こえてきた。それと同時に空気が徐々に鮮明になっていく。

澱むことなく、流れて留まらないから空気の解像度が下がらないのだろうかと考えた。

辿り着いた時に、解像度ではなく鮮度と称するのが正しいことに気付いてしまった。

鮮度は、生物に使う言葉だ。私が最も嫌うものだ。

滝自体は大きなものではなく、小ぶりで細い水流であったが、勢いがあり十分なものだった。

写真でしか見たことのなかったものが目の前にあることに違和感でしかなかったが。



彼はさっと服を脱いで滝に打たれていた。勿論水が冷たいので長く浴びることはできない。それでも何度か繰り返して、冷たい水と空気を肺と肌で実感している様子だった。

私は彼が浴びている間に、少し近くで見ていただけだが、水飛沫の冷たさは十分把握した。そこは涼しかった。

水飛沫が肌に当たるのが存外気持ち良くて徐々に近付いていたら、私のパンプスは踏むだけでぐじゅりと音が鳴るほど水を吸ってしまっていた。



あーあ、やってしまった。お母様に怒られる。



そこまでコンマ数秒でオートで思考して、はたと止まった。

おかあさまに、おこられる?


私が、靴に水が染み込んで嫌だと思ったのは、その不快感より先に母に叱られることだったのだ。

水を吸った足元を見下ろして、小さい頃の白い運動靴に靴下を履いていた視界が重なる。

そうだ、小学生の頃、大雨の日に友達と遊びつつ帰宅したら大層怒られたものだ。

まず玄関から上がることを止められ、母が慌ててキッチンペーパーを持ってきて、それで足を綺麗に拭いてから上がることを許される。



私個人が先に「靴が濡れると気持ち悪い」と思ったのではなかった。ああ、濡れてしまったか、まあ乾かしてどうにでもなるだろう。安物だから。すぐに諦めがつく点だった。

大の大人がまさか、母親に叱られるが為に嫌だと思っていたなんて。

そんなのは私の好悪の話でなく、母の好悪なだけだ。



それに気付くと、滑稽で笑ってしまった。

私が汚れるから嫌いと考えているのではなくて、母が汚れたものや汚すものが嫌いなだけだ。


そこからは笑いながらパンプスが水に濡れるのも構わずに足元を濡らした。けらけらと笑いながら冷たさを感じた。


滝行を終えた帰り道、歩くのにバランスが悪いからと近くの木に手を添えて歩いた私を見て、恋人が呟いた。



「〇〇さん、そこまで自然嫌いじゃないと思うんだけどな。嫌いなら、木に手をついたりもできないよ」



そうだよ。私の自然嫌いは、お母様の自然嫌いをそのまま引きずった、呪いを引きずっただけのものだったんだよ。